アダルトビデオ

アダルトビデオ

アダルトビデオの概要

1980年代に、ビデオによる製作・配給環境が整備されました。

 

このため、世界的にポルノ映画のビデオ媒体への移行が進みました。

 

したがって、世界の多くの地域では、撮影・配給媒体の種類に関わらず、ポルノ映画(pornographic film)と呼ばれています。

 

ところが、日本のアダルトビデオというのはポルノ映画やピンク映画とは隔絶した新勢力で、

 

そこに、代々木忠のようなピンク映画の黎明期から活躍し、その後にアダルトビデオに移った人もいます。

 

初期のアダルトビデオは、比較的ポルノ映画やピンク映画の影響を受けた作品が多くありました。

 

ところが、しばらくして、内容が大きく変化するようになりました。

 

まず、脚本、演出、照明、撮影といった高度な作品に欠かせない技術へのこだわりが消えて行きました。

 

さらに、手持ちカメラを使ったハメ撮りなどの臨場感の高い手法が流行りました。

 

出演者については、初期の頃は、ピンク映画やポルノ映画の出身者が兼業することがよくありましたが、

 

製作スタイルが変わっていくにつれて、女優に求められる演技力のレベルが低くなったと同時に、

 

本番などの具体的な性行為が求められることが増え、

 

正統派を自認する俳優が出演しづらい環境になっていきました。

 

そこで誕生したのが、AV女優、AV男優、AV監督というアダルトビデオ(Adult Video)専門の職業です。

 

これにより、アダルトビデオは日本独自の分野として発展していき、アジア圏でも注目を浴びるようになりました。

 

2019年には、村西とおる、および黒木香の目線からAV発展の歴史を描いたドラマ『全裸監督』がNetflixで世界公開されました。

 

そもそもアダルトビデオ(AV)とは

アダルトビデオというのは、実は和製英語なんです。

 

アルファベットで書くと、Adult Videoとなるので、略してAVと呼ばれますが、

 

英語圏の人にAV(エーブイ)とかAdult Videoなどと言っても通じませんので注意してくださいね。

 

ちなみに、kinkyを意味するhentaiは日本のアダルトビデオ文化の世界的広がりのせいで通じるようになってますので、

 

グローバル化というのはなかなか面白いものですね。

 

それでは、アダルトビデオを厳密に定義するとどのような表現になるかというと、

 

「日本で視聴者の性的欲求を満足させるために製作された性行為が主となる映像作品」

 

ということとなります。

 

そういうわけで、アダルトビデオというのは、日本での独自の名称であって、他国では一般に、

 

ポルノ映画、あるいはポルノグラフィと呼ばれています。

 

狭義のアダルトビデオ

狭義のアダルトビデオというのがあって、これはビデオ媒体等での流通を念頭としたもので、ビデオカメラで撮影されたもののことを言います。

 

その理由は、アダルトビデオが、ピンク映画や1971年より始まった日活ロマンポルノとは制作手法が大きく異なること、

 

そして、家庭用ビデオデッキが普及する前からあったピンク映画などと区別するためです。

 

この狭義のアダルトビデオは、年間約1万本もリリースされることとなりました。

 

その中で、日本国内で合法的に流通しているものを表ビデオと言い、

 

日本の国内法である刑法175条のわいせつ物頒布罪に基づき性器にモザイク処理等を施すことが

 

なされていないような非合法のものを裏ビデオと呼ぶようになりました。

 

そして、製作会社が廃業した際には、モザイク処理が行われていないマスターテープが流出することがありました。

 

これは一般に、流出物と呼ばれ、裏ビデオとして扱われました。

 

アダルトビデオの初期の記録メディアは、VHSのビデオテープが中心でした。

 

その後、技術革新とともに、配信媒体としてのアナログのビデオテープはほとんど消滅しました。

 

そして、代わりにデジタルのDVDやBD(Blu-ray Disc)が登場し、

 

その後、インターネットによる動画配信へと移っていきました。

 

現在の日本の合法セルビデオ(販売用ビデオ)のほとんどは、DVDアダルトビデオです。

 

実は、DVDが登場する前の一時期、ビデオCDで発売されたアダルトビデオ作品があります。

 

これらは、他のDVDアダルトビデオと同様に、画面アスペクト比16:9の標準画質で撮影された高画質の作品が多く存在しました。

 

また、2009年(平成21年)1月23日には、レンタルビデオショップ最大手のTSUTAYAで、

 

Blu-ray Disc版のアダルトビデオのレンタルが開始されました。

 

このことから、高画質のアダルトビデオ作品は当時から非常に人気が高いことが分かります。

 

ちなみに、NHKではDVDパッケージのものを娯楽用DVDと呼んでいますが、

 

アダルトビデオもこの範疇に入ります。

 

アダルトビデオ(AV)のはじまり

1969年にデンマークがハードコアポルノを合法化しました。

 

その後、1970年代から西側諸国で表現の自由が叫ばれたことで、多くの国でポルノ映画の規制が解禁されました。

 

そして、アメリカや他の多くの国々では、本格的ポルノと評価されたXXXレートという映画の上映が許可されました。

 

日本では、1962年に「肉体の市場」などのピンク映画作品が登場しました。

 

そして、大手映画会社の東映が1968年に「徳川女系図」でピンク映画に参入しました。

 

さらに、他の有名な映画会社である大映、日活、松竹も続いてピンク映画作品をリリースしました。

 

1971年からは、これらのピンク映画をポルノと呼ぶようになりました。

 

アダルトビデオ(AV)のイノベーション(技術革新)

1969年12月に、日本において、電機メーカー各社が統一規格によるカセット方式のビデオテープレコーダーを市販しました。

 

これをU規格と言います。

 

このイノベーション(技術革新)によって販売されたソフトは、9割がポルノ映画でした。

 

しかも、ビデオカメラで撮影された作品ではなく、ポルノ映画をビデオの仕様に変換したものでした。

 

そういった映像を再生するためのビデオデッキを最初に入手したのは、ラブホテルや当時流行中のモーテルでした。

 

1972年には日活ロマンポルノ裁判が始まり、被告は無罪となりましたが、日本でポルノが解禁されるには至りませんでした。

 

そのような背景のもと、

 

1975年にソニーのベータマックスが発売され、1976年にビクターのVHSが発売され、

 

1981年に日本ビデオ映像から「ビニ本の女・秘奥覗き」と「OLワレメ白書・熟した秘園」が発売されました。

 

1981年というのは、一般家庭へのビデオデッキの普及率が10%を突破した年です。

 

このことから、次第にアダルトビデオが普及していきました。

 

20kg程度のビデオカメラが登場すると、これまでの大がかりな映画用のフィルムカメラが不要となり、

 

参入障壁の低下によって、アダルトビデオの制作に参入する小企業が出てきました。

 

1982年には、代々木忠監督の「ドキュメント ザ・オナニー」シリーズの第一弾「主婦斎藤京子の場合」が8万本のセールスを記録し、アダルトビデオブームが起こりました。

 

結果、1983年のビデオカタログには、90社ものアダルトビデオメーカーが掲載されました。

 

また、ビデオカメラとビデオデッキを客室に設置したラブホテルが登場し、

 

カップルが自ら撮影した映像を観賞して楽しむことができ、その映像が流通することもありました。

 

アダルトビデオ(AV)の有名監督の登場

 

1980年代には、日本でレンタルビデオ店が急増しました。

 

1984年のレンタルビデオ店の店舗数は、全国で約2500店舗になりました。

 

1985年頃に警察が、日本ビデオ倫理協会の自主規制審査を通していない作品を

 

わいせつ物とみなすことを示唆しました。

 

このため、アダルトビデオメーカーの多くが、日本ビデオ倫理協会へ加入することとなりました。

 

この頃、アダルトビデオ監督の村西とおるが有名になり、AV界の帝王と呼ばれました。

 

そして、1985年に登場した黒木香が出演した1986年の作品「SMぽいの好き」は、非常に高い人気を集めました。

 

当時の村西とおる監督は、月に6本のアダルトビデオをリリースし、

 

アダルトビデオのロケに出ては数本を撮影して帰るという大忙しの状態でした。

 

この時の作品は、「本番」と呼ばれる性行為そのものに偏重した内容でした。

 

また、この時代には、女性の膣内を撮影した「マイクロ・ボディ 奥までのぞいて」が発表され、

 

その後、内性器描写や、フェラチオ、パイズリといった過激な性表現を連発した豊田薫が高い人気となりました。

 

インディーズビデオ

 

1987年末、レンタルビデオ店は全国で約2万店舗に達しました。

 

この頃になると、ビデ倫に所属しないインディーズ・ビデオと呼ばれる無審査ビデオが登場しました。

 

また、シースルービデオといった性器のモザイクが非常に薄いものもリリースされました。

 

シースルービデオは、シースルーであるがゆえに、疑似本番が通用しにくいものでした。

 

※モザイクが濃いと、モザイクの向こう側では挿入したフリをするだけの場合もあり得るということとなります。

 

シースルーの状態では、実際に女性器に男性器を挿入する本番行為をせず疑似本番だとばれてしまいます。

 

このことが結果として、インディーズビデオやシースルービデオの人気を高めることとなりました。

 

※本番女優には疑似本番女優よりも高額なギャラが支払われました。

 

このような商品は法的にリスクがあるため、制作元がパッケージに記載されないことがありました。

 

そこで警察は、制作元でなくレンタルビデオ店を摘発しました。

 

インディーズやシースルーのメーカーは、摘発されるとブランドを消滅させ、新規ブランドを立ち上げるという方策に出たため、イタチごっこのような様相を呈しました。

 

ところが、1989年頃になると、女性誌「an・an」がセックス特集を組み、

 

それによって女性の性がオープンになる傾向とともに、

 

アダルトビデオは本番を行った映像であるという新しい通念が定着していきました。

 

セルビデオと薄消し

 

1989年の女子高生の事件をきっかけに、ビデ倫は一部表現に対して制約を科しました。

 

さらに宮崎勤の事件も重なって、アダルトビデオを含むセックスメディア全般に逆風が吹くこととなりました。

 

1992年頃に大手の製作会社の倒産が相次ぎました。

 

このことで、人気AV女優の裏流出ビデオが大量に出回ることとなり、この状況は1997年まで続きました。

 

しかしながら、アダルトビデオに分野では業界特有のたくましさを見せます。

 

1993年以降、レンタルビデオとは違ったビデ倫に加入しないセルビデオ(小売りビデオ)販売店の「ビデオ安売王」(日本ビデオ販売株式会社)が急成長しました。

 

1995年には、ビデオ安売王のフランチャイズが1000店に到達しました。

 

ビデオ安売王でのビデオの価格帯は、約2000円から3000円で、粗利は約50%です。

 

ところが、1996年に海賊版ビデオを販売したことから訴訟となり、ビデオ安売王の社長は辞任しました。

 

ビデオ安売王の快進撃はここで止まりましたが、ビデオ安売王が作り上げた市場に後発の業者が続々と参入しました。

 

これがいわゆる、セルビデオブームの到来です。

 

この時に急成長したのがソフト・オン・デマンドや桃太郎映像出版などです。

 

また、ビデ倫一極体制の崩壊が起き、様々な審査機関が立ち上がることになりました。

 

そのような状況下で、セルビデオはビデ倫を通したものに比べて、

 

陰毛が見える、モザイクが薄いなどの利点がありました。

 

モザイクが薄いと疑似本番が通用しないため、疑似本番しかできないビデ倫レンタル出身のAV女優は採用されませんでした。

 

もちろん、モザイクの薄さは顧客満足および売上に直結していましたので、経営面からも疑似本番の作品は避けられていました。

 

2000年以降になると、モザイクの一辺が1mm以下の激薄ビデオが登場しました。

 

これはもうほぼ丸見え状態です。

 

けれども、このような作品が一般のアダルトショップに並ぶことはあまりありませんでした。

 

セルビデオ業界は隆盛を極め、90年代後半になると、販売店は3000店、4000店、5000店と次々に増えていきました。

 

アダルトビデオメーカーもセルビデオブームに乗りました。村西とおる監督曰く、

 

「レンタルは企画から集金まで約1年かかったが、ショップ買取方式のセルビデオだと即座に売り上げが入ってくる。」

 

とのことです。

 

2002年頃には、警察が薄消しビデオの摘発に着手したため、

 

日本のアダルトビデオ製作会社は、激薄ビデオなどを含めたアダルトビデオを海外に輸出しました。

 

2004年頃になると、日本人のAV女優が出演するアダルトビデオが海外で販売されていることが当たり前になりました。

 

そして、海外向けアダルトビデオが日本に逆輸入され、裏ビデオとして流通するようになりました。

 

AV女優

 

アダルトビデオ(AV)ブームが定着するにつれて、AVへの出演を生業とするAV女優が登場しました。

 

AV女優の行う演技というのは、監督などの演技指導もありますが、自主的に考えた演技もあります。

 

けれども、本格的に演技の勉強をするAV女優というのはあまりいません。

 

AVの黎明期に活躍したAV女優と言えば、田口ゆかりです。

 

田口ゆかりは、「ドキュメント ザ・オナニーPART2 女優・田口ゆかり」といった40本の表ビデオと、

 

その他裏ビデオや裏本に多数出演しました。

 

近年においては、膨大な人数のAV女優がいることから、そういったAV女優の乱立が危惧されることもあります。

 

しかしながら、AV女優になるためのハードルが下がったという見方もでき、

 

AV女優を志望する者にとっては望ましい状況と言えるかもしれません。

 

アダルトビデオのレンタルビデオ・CS放送・インターネットでの動画配信

 

レンタルビデオ業者による事業

 

時の経過とともに、レンタルビデオ業界はTSUTAYAやゲオの寡占状態となり、

 

アダルトビデオメーカーはソフト・オン・デマンドやCAなどの大手が君臨しました。

 

なお、CAの創業者はDMM.com会長の亀山敬司です。

 

このように、資本力のある大手が年間1万本以上のタイトルをリリースするようになりました。

 

レンタルビデオの普及とともに、販売を目的としたセルビデオも登場しました。

 

レンタルビデオとセルビデオの市場規模を比較すると、

 

通信販売で購入できるセルビデオの方がより大きいものでした。

 

レンタルビデオ店の中では、アダルト以外の一般作品がメインで置かれ、

 

アダルトビデオのために独立したコーナーが設けられました。

 

また、アダルトビデオが一般客の目に触れないように、アダルトコーナーは一般コーナーとは暖簾などで仕切られていました。

 

こうすることで、一般客に嫌悪感を与えず、また同時にアダルトビデオの利用者のプライバシーを守ることができました。

 

そうは言うものの、まだアダルトビデオの作品数が少ない1990年頃までは、アダルトビデオは一般作品とともに並べられていました。

 

アダルトビデオメーカーは独自に流通配送システムなどを構築し、通信販売の利便性の向上や低価格化を実現しました。

 

ブラックパックビデオ

 

ブラックパックビデオは、一般的な流通経路を用いないインディーズ作品のことで、

 

1983年から1985年頃にかけて流通したアダルトビデオのひとつの形態を示す俗語です。

 

CS放送による放送事業

 

ビジネスホテルやラブホテルの有料番組、そしてスカパー!プレミアムサービスによるCS放送番組(900ch台の放送)や、

 

ケーブルテレビなどでもアダルトビデオの作品が放送されました。

 

インターネットでの動画配信事業

 

インターネットが普及してからは、アダルトビデオがストリーミング放送やデータダウンロードの形式で提供されるようになりました。

 

※廃盤作品を視聴する場合は、メーカーから提供を受けている業者からデータで買う以外に視聴方法はありません。

 

また、日本国内の個人や法人が、日本国外に海外法人を設立し、

 

日本とは法体系が異なり、刑法のわいせつ物頒布等の罪が適用されない海外現地法人を利用して、

 

日本向けにアダルトビデオの販売を目的として、主にアメリカ等にインターネットサーバーを設置し、

 

動画配信を行うケースも増えました。

 

海外では性器にモザイク処理のない無修正ビデオの配信が行われていますが、

 

YouTubeでは18歳未満が鑑賞できないように、性的表現を含む動画は、

 

YouTubeアカウントにログインして18歳以上であることが確認できないと見られないように設定されています。

 

【目次】
ポルノ映画
世界のポルノ映画
日本のポルノ映画
アダルトビデオ
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